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2017年4月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。


2010年に書いた手記を投稿します。

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2010.2.12 K.K


今から100年前の話をしたいと思います。ドイツでの話ですが、ある少年の真っ直ぐな気持ちとその

運命を思い巡らす時、この世の不条理を超えて、この少年が遺した想いは100年経った今この時にも、

私たちの心に新たな希望という名の息吹を吹き込んでくれていると感じてなりませんでした。

「美しき人間像」小林有方著 昭和35年(1960年)発行 から抜粋引用します。



私が子供の頃に聞いた話があります。子供の頃の事なので人の名前も土地の名前もわかりません。

ただうろ覚えの話ですが、なんでもこんな事でした。日本のある博士が数名の外国人と一緒に、ドイツ

を旅行していた時のこと、珍しい外国人と見て、多数の子供たちがサインをせがんできました。幸い

博士だけが、胸に万年筆を持っていましたので真先にサインをし、その万年筆が次から次へと手渡っ

ている中にバスの発車の時間になりました。博士は自分のペンの事を忘れ、そのまま出発しましたが、

窓の外で何か子供の叫ぶ声が聞こえるので、ふと見ると、一人の子供が博士のペンを片手に高く持っ

て、バスに追いつこうと必死にかけて来るのです。けれども、子供の足ではとても追いつけるはずも

なく、みるみる引き離された子供は、とうとうあきらめたのか立ち止まってしまい、博士の方でも、まあ、

万年筆の一本ぐらいとあきらめ、そのまま旅行を続けて、日本に帰国しましたが、それから数ヶ月

たって、突然ドイツから一つの小包が送られて来ました。



あけて見ると、ペシャンコに押しつぶされた博士の例の万年筆と一通の手紙が出て来ました。何気な

く読みすすむうちに、博士の胸はしめつけられるような感動を覚えました。



「日本の見知らぬ先生に一筆、先生の万年筆を手に、ボンヤリと家に帰ってきた私の子供は、それ

からというもの、毎日毎日先生の住所を探すのに夢中でした。新聞社をはじめ、少しでも関係のあり

そうなところへは残らず手紙を出して、先生のお所を聞きましたがわからず、とうとう数ヶ月が過ぎま

した。ところが、今から一週間ばかり前のこと、子供は、外から勢いよくかけこんで来ると、『お母さん、

日本の博士のおところがわかったよ、わかったよ」と、こおどりしながら、さっそく先生のペンを小包に

して、『お母さん、郵便局に行って来ます』と元気に大喜びで外に飛び出しましたが、それが子供の

最後の姿でした。喜びで夢中になった子供は、横から走って来る自動車に気がつかなかったのです。

子供はひかれて死にました。先生の万年筆も、子供の胸の下で、つぶれました。けれでもお送りし

ます。私の最愛の子供のまごころと一緒に、こわれた先生の万年筆をお返しします。どうぞ、ドイツの

子供は不正直だと思わないで下さいまし」



手紙には、そう書いてあったのです。

皆さん、正しさを追い求めて生きるいのちの尊さを学びたいものですね。

では、今夜もどうやら時間が来たようです。静かにおやすみなさい。



引用終わり



この少年の名前、そしてその万年筆も100年経った今となっては追跡することなど不可能でしょう。

永遠にそれは失われてしまったのかも知れません。しかし、少年の真心、最愛の息子の真心を大事

にしようとした母親の心は、この話に接した人の心にずっと生き続けていくのでしょう。私はそう信じて

います。


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