大地と空の息吹き 75 メダカ 自宅にて




2014年7月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。


銃を持って戦うこと



もう30数年前、マルコスの独裁政権下にあったフィリピンへ団体で行ったことがあります。



スラム街で出会った女性は、政権打倒を目指す地下組織の方で、イメルダ夫人の親戚にあたる人でした。



彼女はスラムなどの問題を放置する独裁政権を打倒する必要があることを語ってくれましたが、帰国して読んだ

ナチスに抵抗した レジスタンス達の手紙から感じたことと共通すること、それは祖国への熱い想いでした。



銃を持って戦うこと、レジスタンスがそうであったように、私は必ずしもその全てが悪だとは思いません。



しかし、家族を守るために戦うことは当然としながらも、今の日本は銃を取ってでも守りたい祖国か?と聞かれると、

否、と応えたくなる自分がいるのを感じます。



日本に限らず世界の多くの国が、あるべき「地産地消」の国作りを目指さず、真逆のグローバル化(地球規模の

全体的な、包括的なの意味)に突き進んでいます。



風土などの違いにより、固有の文化・言葉・習慣が生まれる。遺伝子の世界でもそうですが、その多様性こそが

あるべき方向性へと変化していくのではないでしょうか。



グローバル化はマルクスの共産主義と同じように、人間の心理や多様性を顧みず、数学の方程式に無理やり

人間を組み込む手法が共通して横たわっているような気がします。



地球規模と聞こえはいいですが、押さえ込まれたその反動が、民族紛争などの更なる激化につながっていくの

かも知れません。



人道援助を除いて、限りなく「地産地消」の国作りや多様性を受け容れる社会。



もし日本がそのような国で侵略する者がいれば、私は銃を取ってでも必要最小限の戦いをするでしょう。



ただ、日本だけでなく世界各国がその方向性をもっていたなら、銃など武器は全く必要なくなるでしょうね。





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