2012年4月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
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インディアンの言葉の中には多くの感銘する言葉があるが、私自身一番強烈に響いた言葉が、
放蕩生活からヴィジョン・クエストを通して目覚めたレイム・ディアーの次ぎの言葉である。
「二番煎じは嫌だ」
これはレイム・ディアーが生きた時代背景を捉えないと、単なる既存宗教の批判になってしま
う恐れがある。
彼が言いたかったことは、日々新たな生命・風を心に送り込め、自己の鏡を常に磨けという
ことなのだと思う。禅の見地から言うと、「一瞬一瞬を生きろ」ということなのかも知れない。
人は同じ位置に留まっていることは出来ない。新たな経験、思索により180度異なる視点を
持つこともあるだろうし、少しずつながら変化していくのは当たり前のことなのだろう。
しかしそれでもこの言葉には創造主への揺るぎない信頼が横たわっている。この処にしっか
りと立ち、そこに自分の根をおろさなければならないことを意味しているのかも知れない。
根づくことなく足下がふらついている時、何かにすがりつかなければ人は倒れてしまう。レイ
ム・ディアーは、当時の白人に対してそのような姿を見出したのだろう。だから彼はこの言葉
を使ったのではと感じてならない。
何かにしがみつくのではなく、深く深く自分の根っこを張れと。
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おお父よ、わたしはあなたの声を風のなかに聞き、
あなたの息はこの世界中のすべてのものに生命を与えています。
お聞きください。
わたしはあなたの前に、あなたのたくさんいる子供たちのひとりとして、
今、立っています。
わたしは小さくて弱く、
あなたの力と智恵とを必要としています。
どうかわたしを、美のなかに歩ませ、
なにとぞこの眼に、赤と紫の夕陽をお見せください。
この両手が、
あなたの創られたものを、尊敬させるようにしてください。
この耳を、
あなたの声が聞こえるように、鋭くしてください。
そうすればきっと、あなたがわたしの一族に与えられた教えを、
一枚一枚の木の葉や、
ひとつひとつの岩のなかにあなたが隠された教訓を、
このわたしも、理解するかもしれません。
父よ、わたしは力を求めています。
偉大なる敵と戦うことができるようになるための力ではなく、
その力で、汚れのない手と、濁りのない眼をもって、
わたし自身があなたのもとを訪れる準備をさせてください。
もしそれがかなうのなら、
日没の太陽が姿を消すように、わたしの生命が終わりを迎えたとき、
いささかも恥いることなく、
わたしのスピリットはあなたのもとを訪れることができることでしょう。
アクエサスネ・モホーク・ネーションのセント・レジス・リザベーションのなかに立つ「トム・ホワ
イトクラウド」という名前のひとりのネイティブの墓に刻まれている祈りの言葉。「虹の戦士」
北山耕平 翻案 太田書店 より引用 注)写真はインディアンを撮り続けたカーティスからの
もので、レイム・ディアーではありません。
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(K.K)
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