2012年3月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
知里幸恵(ちり ゆきえ)1903年〜1922年
知里幸恵さんは、「アイヌ神謡集」を完成させたその夜に心臓発作のため19歳の生涯を閉じる。
それはカムイユカラを「文字」にして後世に残そうという金田一京助からの要請を受け、東京の
金田一宅で生活していた時のことであった。
私は今までインディアンのことを知ろうとしたが、今振り返るとそれは自分が全く安全な場で考え、
思いを巡らせることに安住していたのかも知れないと思うことがある。
私が18歳の時、北海道各地を一人旅したのだが、阿寒湖の近くのお土産屋さんで興味半分に
「ここはアイヌの人が住んでいるんですか?」と聞くと、女性の店員は警戒したような様々な感情
が入り混じった眼で一瞬私を睨んだ。
私はその時、自分がアイヌに関して何も知らず、そして彼らが辿ってきた歴史に何か隠された
ものがあると感じ、そんな軽はずみな質問をした自分を恥ずかしく感じたことを思い出す。
アイヌや奄美・沖縄が辿った苦難の歴史、それはインディアンと違い、自分は安全な場で考え、
思いを巡らせることはできないのかも知れない。何故なら私の祖先が加害者や被害者、そして
無関心という傍観者として何らかの形でアイヌ・蝦夷と沖縄に関わってきたのは事実なのである
から。
アイヌ文化を研究してきた金田一京助、しかし日本人の基層であるアイヌ・縄文文化を滅び行
く文化として葬り去ったのは金田一京助本人かも知れない。
最後に知里幸恵さんの言葉を紹介して終わりにします。
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平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は
町に次第々々に開けてゆく。
太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺に山辺に嬉々として暮らしていた多くの
民の行方も亦いずこ。僅かに残る私たちの同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはる
ばかり、しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝き
は失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらね
ばならぬ。
あさましい姿、おお亡びゆくもの・・・・・・それは今の私たちの名、なんという悲しい名前を私たち
は持っているのでしょう。
時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の
私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩を並べる
日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座い
ます。
「アイヌ神謡集」知里幸恵より抜粋引用
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(K.K)
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