2012年3月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
火焔型土器(縄文土器)の真価を初めて発見した岡本太郎
私は読んでいませんが、岡本太郎著「画文集・挑む」1977年、岡本太郎著「みずゑ」1952年2月号
「縄文土器論」の中で、「太陽の塔」で有名な芸術家、故・岡本太郎氏は次ぎのように記しています。
☆☆☆☆
○「偶然、上野の博物館に行った。考古学の資料だけを展示してある一隅に何ともいえない、不
思議なモノがあった。 ものすごい、こちらに迫ってくるような強烈な表現だった。何だろう。・・・・
縄文時代。それは紀元前何世紀というような先史時代の土器である。驚いた。そんな日本があっ
たのか。いや、これこそ日本なんだ。身体中に血が熱くわきたち、燃え上がる。すると向こうも燃え
あがっている。異様なぶつかりあい。これだ!まさに私にとって日本発見であると同時に、自己
発見でもあったのだ。」
○「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する隆線文、これでもかこれでもかと
執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を
主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである。」
☆☆☆☆
この縄文時代の火焔型土器は、岡本太郎氏より前に多くの考古学者や人類学者が目にしてき
ました。彼らは刻まれた文様などの解釈に悩んでいたのだと思います。しかし彼らの頭の中では
論理的思考しか働いておらず、土器が持つ「生命力」を感じることが出来ずにいました。この火焔
型土器(縄文土器)の再発見のいきさつを思うと、左脳の論理的思考だけでは真実は見えてこな
い、右脳の創造性や直感も如何に大事かを教えてくるのではと思います。この意味での「平衡感
覚」が「在るべき人間」に備わっていると私は感じます。
先に紹介した分子生物学者の福岡伸一氏は、「光の画家」として知られるフェルメール(1632年か
ら1675年)の作品に独自の解釈をした文献も出されているようです。学者の中でもこのような平衡
感覚が備わっている方はいますが、「在るべき人間」とは、知能や知識などで判断されるものでは
決してないと思います。
誰が話したか覚えていませんが、「毎朝、妻の寝顔を見ると、新しい女がいつもそこに眠っている」
という感覚。縄文人にとっては、一日一日が美や創造の再発見であったのかも知れません。
最後に私が尊敬する哲学者・梅原猛氏の岡本太郎氏に関する記述を紹介して終わりにします。
これは「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る」梅原猛著からの引用です。
☆☆☆☆
この縄文土器の美を発見したのは、前にも述べたように岡本太郎氏である。美というのは、すで
に存在しているものであるが、やはりそれは誰かによって見い出されるものである。日本の仏像
の美を見い出したのは、フェノロサや岡倉天心であったし、木喰(もくじき)や円空(えんくう)の仏像
や民芸の美を見い出したのは柳宗悦なのである。縄文土器もそれまで、数多くの人が見ていたは
ずであるが、それが美であり、芸術であるとはっきり宣言するのには、やはり岡本太郎氏の前衛
芸術によって養われた審美眼を待たねばならなかった。
☆☆☆☆
(K.K)
|