2012年2月19日、ジャーナリストの鳥越 俊太郎さんがフェイスブックに投稿した記事です。

とても共感したのでここに転載いたします。

http://www.facebook.com/profile.php?id=100002190204568



鳥越 俊太郎


今週は木曜日から福岡に来ています。久留米での講演の帰りに母を訪ねました。先週大腸がんを

手術して退院したばかりなので見舞いのつもりでしたけど、部屋に入って顔を見た瞬間も無表情で、

私のことを認識出来ないようでした。



母は一人住まいをしている頃、何度も転倒、骨折を繰り返し、その度に入院をしているうちに、認知

症の症状が出てきました。そこで安全のため環境のいい施設に入ってもらいましたが、やはり年齢

(91歳)も背景にはあるんでしょう。病院の医師からは認知症ではなくアルツハイマーと診断されま

した。



会いに行くたびに症状が進んでいることが伺われ憂慮していましたが、今日私を認識出来ないのを

見てとうとうここまで来たか?!と覚悟をしました。そこで今日は腹を据え、私が床に座り同じ目線で

話しかけました。とりあえず昔の記憶は残っている可能性はあると思い尋ねました。



「あなたは子供は何人いましたか?」すると母は案の定ちゃんと答えました。

「5人・・・」

私「そうだよねえ、5人だよねえ・・・・で、5人の子供の一番上の子の名前は覚えている?」

母「・・・・・俊太郎」

私「ああ、そうだよねえ!!で、2番目は?」



母は5人の子供の名前をそんなに苦にすることもなくスラスラと答えて行きました。私は嬉しくなって

「そうだよねえ、お母さん、その一番上、俊太郎が僕だよ!!」と勢い込んで言いました。すると母は

じっと私を見つめて、手術でやせ細った両手を伸ばし、私の頬を挟みまるで赤ん坊をあやすかのよう

にするではないですか。しばらくそのままの状態が続きましたが、私は不意に涙が込み上げてきて止

まりませんでした。



私「おかあさん!!おかあさん、僕だよ!」でも、母は無表情でした。しかし、私は母の瞳の奥に何か

が動いたような気がしました。



「分かってるんだ!!」

でもその後は同じ質問をしても「もう分からん」と言うばかりで、ただ黙って目の前のテレビを見つめて

いました。こういう状況はきっと波のように分かる時とそうでもない時が交互に現れるんでしょうね。ずっ

と遠いところに行ってしまったと思っていましたが、そうでもない。すぐ近くにいるんだと思い直しました。



人間は高齢で生きているということはこんなことも受け入れて行かなければならないんだと、改めて実

感しました。でも今日は久しぶりに母子の会話をしたと思いました。皆さんも同じような経験をされてい

ると思い、敢て私自身のことを書きました。私の実感では母は決して悲しい状況にはいないなあ、本当

は幸せなのかもしれない。そういう思いでした。


 



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