2012年1月26日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

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母系社会

かつて日本人の祖先たちは、現在のインディアンのような母系社会の中で、精神的にも社会的

にも、そして未来への責任という意味でも均衡ある態度を選択することが出来たと感じられてな

らない。下は前に紹介した「ホピの太陽の下へ 女三人、アリゾナを行く」から引用させていただ

きます。



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私がアメリカインディアンの世界観に惹かれる理由の一つは、このような母系制を軸としたもの

だからにほかならない。私自身が非嫡子だということと、私が育った時代に当然のようにあった

性の違いによる役割分担は、私が私という個性を生きる上で息苦しさを感じさせるものだった。



母は、望むべくして私を妊娠したわけではなかった。母は絶望のあまり自殺未遂もし、周囲の非

難の目にさらされながら、真実を誰にも話さず私を出産した。私の父にあたる人の家で、しばらく

暮らした母は、歓迎されざる雰囲気に耐えかね、ほどなく私をつれて実家に戻った。母が入院し

た時に、二歳にならぬ私を即座に他人の家に養女に出したのは、母の親族だった。



私と母の存在は、父系を是とする価値観の社会では忌むべきもので、親類たちは自分たちの目

の前から私の存在を消したかったのだと思う。私も母も、本来ならば協力し合って生きていかね

ばならない共同体の中から閉め出されたわけだ。彼女は、いまだにそのことを十字架のように

背負って生きている。



養女に行った先は、明治と大正生まれの夫婦の家庭だった。悪意はなかったのだろうが、そこ

で「女々しい」「女のくせに」「女だてらに」「女が腐ったようなヤツ」など、否定的なニュアンスを持

って「女性性」が語られることは、少女の頃に知った「非嫡子」という事実に上乗せするように、

自分自身が否定されて存在していると感じられた。そして、「女らしさ」という外側からの規制は、

シャボン玉のようにあふれてくる様々な夢を壊す針のように思春期の少女には思われ、フェミニ

ズムの世界に答えを求めたりもした。



成人し、アメリカインディアンの世界に出会った時に、シンプルに母なる地球の子どもの一人とし

て、私が私であってよいという地点に立てたのだ。それは、古代、地球上のどこにもあった生き

方だったろうし、私の意識の奥深くに眠っている「心のふるさと」に出会ったような感覚だった。

「母なる」ものを敬うアメリカインディアンの生き方を知ることは、「女性性」を生きる者への肯定

のエールとして感じ、ヒトが生きるということを、大きな生態系の中で考えるきっかけでもあった。



私がアメリカインディアンの地に行くということは、精神的な意味で、故郷に還るようなき持ちで

あった。そして、これまでの私の人生に起こったことが、このような出会いを生む必然だったの

だと思えて、感謝の念のようなものさえ私の内から湧いてくるのだ。



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(K.K)



 



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