2011年12月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

映像省略

「深い河」マリアン・アンダーソン

昨日投稿した「カウンセリング技術」のところで言葉足らずのところがあったことを反省しています。



西欧人って(最近は日本人の多くもそうだけど)相手の論理的矛盾を直ぐついてくる癖があるみた

いだけど、僕は何故相手がそのような発言をするのかその背景や真意を必死に汲み取ろうとする

人間が好きだし、そうありたいと願っている。偉そうに言ってしまったけど、難しいことだから直ぐ僕

も上っ面の会話になってしまうことが多いのも事実なんだけどね。ただ、相手の意見に対し即答を

強要する「議論」というものが苦手だし、恐らく現代の子供に対しても議論したら簡単に負けると思う。



これは後で気付いたことだけど、インディアンも同じ思考回路を持っていたことを本で知ったんだ。

これはインディアンに限らず世界の先住民に共通すると感じているけどね。教師の質問に即答で

きない彼らインディアンは西欧人から見て「馬鹿」とずっと思われていたけれど、実際は教師が何故

この質問をするのか、その背景や真意を必死に考えていたことが後年になってわかってきたんだ。



僕が大学の先生から「こんなカウンセリング技術があったんだ」と言われたことの裏はそこにあると

思う。徹底的に相手の言葉に耳を傾け必死でその背景や気持ちを探ろうとする。だから殆ど自分

は話さないし、まるで「沈黙のカウンセラー」みたいな存在だった。でも不思議と相談者は次第に

問題の核心に自ら触れようとしてくる。だから先生達には新鮮に映ったのかも知れないね。でも

カウンセリングの研究所の先生達がインディアンの居留地に行ったら日常茶飯的に経験すること

だと思う。今のインディアン社会はアメリカ政府の長年にわたる同化政策の後遺症のため、貧困

やアルコール中毒、育児放棄、自殺などで苦しんでいるけど、この根っこだけは奪われていないと

信じたい。



黒澤明監督の映画(「八月の狂詩曲」か「夢」か覚えていない)で、年寄りのおばあちゃんが縁側に

座っていると、近所に住むおばあちゃんがやってきて一時間ほど時を過ごすんだけど、この一時間

二人には一言の会話もない。ただ黙って共に縁側に座って、そして帰っていく。僕はこの場面を見

たときに涙が出てきそうだった。時として沈黙は言葉よりも多くのことを語ってくれる、そのことを映

画の一場面が雄弁に語っていたからだと思う。



何か下手な「自分史」になりつつあるので、これで終わりとします。今まで長い文を最後まで見てくだ

さり本当にありがとうございました。



表題の「深い河」というゴスペルソングですが、僕が最初にゴスペルに出会ったのはマヘリア・ジャ

クソンでした。自分がどの道に進んでいっていいのかわからなかった時期に毎日何度も聴き勇気

をもらったものです。その後、マリアン・アンダーソンを知ったのですが、彼女の深い低音の響きに

また違ったゴスペルの真髄を感じてしまいました。



(K.K)


 



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