2011年12月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

映像省略

「パッヘルベルのカノン」

大学をやめてしまい、住み込みだった新聞配達店も1年でやめて僕は池袋の小さな工場で

働いていた。一階に大家さんが住み、2階に3つの貸し部屋があり僕はその一つの部屋を

借りた。3階には大家さんの息子さん2人が暮らしていた。



大学に通っている大家さんの息子さんに誘われて彼の部屋に何回か遊びに行ったけど、こ

の息子さんは在学中(2年生の時)に書いた論文が哲学科の教材として採用されたほど頭

脳明晰な人だった。彼の部屋でプラトンはなんだかんだとか話しされても、僕にはチンプン

カンプンで話についていくことさえ出来なかった。



でも哲学の話もしたけれど、彼は良く笑い酒も大好きだった。また卑猥な話(女性の方すい

ません)も長けていた。まあ哲学なんかを勉強する奴って古今東西問わず変な奴が多いけ

どね(負け犬の遠吠えです)。



その彼の部屋には200万円もする外国製のスピーカー、そしてアンプも真空管式の最上級

のものを使っており、いつもクラシックを聞いていた。特にお気に入りが「アルビノーニのアダ

ージョ」とと「パッヘルベルのカノン」だった。



同じ頃、池袋の小さな工場で共に働いていた方でOさんという人がいた。実はこの方も頭脳

明晰(僕からして見れば皆、頭脳明晰に見えてしまう)で、厚生省の筆記試験には通ったが

面接で落とされてしまった(人事課は見る眼がない!)方だった。でもこのOさんも芸術、特に

演劇が大好きで蜷川幸雄(にながわ ゆきお)のものには何度も誘われては観にいった。人

間としても尊敬できる人で、僕は彼を通して芸術の素晴らしさを教わったような気がする。



このOさんがたまたま空いていた僕の隣に引っ越してきた。そして当然ながら僕が哲学科の

学生さんと話す機会は次第に少なくなっていった。まあ当然だよね、彼には高度な話が通じ

合うOさんが出来たんだから。でもOさんとはその後もいろいろな話が出来て僕は幸せだった。



今思えば、僕はこの時期に大きなものを受け取ったように思う。一番目は芸術が人に与える

力というもので、彼らがいなかったら自分を表現する術を持てなかったかも知れない。もう一

つは哲学科の学生さんの対談で学んだもの、それはどんなに相手の話が自分にとってチン

プンカンプンでも真剣に相手の話を聴いているような素振り(ココが味噌です)が出来るように

なったこと(少し冗談で少し本気です)。これは後に通った上智大学カウンセリング研究所で

先生方が「こんなカウンセリング技術があったんだ」とうならせた方法です。うーん、本当は

相手になんといってあげたらいいか自分が悩んで苦しんでいたのかも知れませんけどね。



でもこのカウンセリング技術は妻には使えない、というか使いたくないな。だから良く喧嘩する

のかな。今日ははクリスマス・イヴ、「パッヘルベルのカノン」を聞いて仲直りでもしようかな。



(K.K)


 




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